心の筋肉は必要ない

 

ここ数ヶ月、何年も後回しにしてきた、身体のある事と向き合っています。

そのことを解決するためには
「身体の重心、特に下半身の重心を内側に置くこと」が大切になってくるのですが

私は立つ時、歩く時の脚の重心が外側なので
内側に意識を置くことを心がけています。

普段の生活から改善し、それに加えて軽いトレーニングもしていて
そのおかげで、最近やっと
下半身の重心が内側に戻ってきたと自覚できるようになってきたのですが
それでふと思ったことがあります。

それは、まっすぐに立つ事、ただ歩く事って
こんなにもシンプルで、多くの事は必要ないんだなって事です。

 

私はこの十数年間、重心がズレていた事で、
本来使うべき脚の筋肉を使わずに、使わなくて良い筋肉をたくさん使って来たのです。
それも、とても力んでいました。

ただ立つだけなのに、ただ歩くだけなのに
とても力を入れて立っていて、そして歩いていたのです。
私にとってはそれが普通のことになっていたので
力を入れてしまっている事にすら最近まで気付けませんでした。

立っている時、歩いている時って
たった一本の軸があれば、力なんて必要なくて
その軸を意識できるようになれば、自ずと必要のない力も抜けて来るし
そうなると、本来使うべき筋肉に自然と意識が行くようになるのですね。

必要なところに意識を置けるようになれば、力なんて必要なくて
とても身軽に立てるし、歩けるようになる。

この感覚が腑に落ちた時、
第4チャクラにスペースが出来て、私の中で癒しが起こりました。

体に対しての気づきが得られたことで、心の解放にも繋がったのです。
心と身体は繋がっていますのでね。

 

重心が外側に向いて、必要のない脚の筋肉を使っていたとの同じように
私はどんな時も、ただ私自身で在れば良くて
私は私として立っていれば良いだけなのに、
私はまだまだ、余計な心の筋肉を使っていたんだと思います。

そしてその心の状態が、私の身体の軸のブレにも繋がっていて
心と身体の両方で、私は私なりに自分を支えていたのです。

『こう在るべき』『こうしないとダメ』とか、そんな風にして
心にたくさん力を入れて、そうやって自分を創ってきたんだな、と。

 

その辺の事に関しては、これまで結構手放して来たつもりだけど
まだまだまだま〜〜〜だだな、と。涙

だけど、ここ数年でたくさんの事に気づき、手放して来たからこそ
やっとこの課題に取り組める心ができて来たんだと思います。

と言うのも、この課題には、過去何回か取り組んでいたのだけど
思うような感覚が得られずにいて、そして心の反応に耐えることが出来なかったし
その心の反応の意味すら理解できていなかったのです。

 

今も、重心を内側にするストレッチやトレーニングをしていると
心の反応が起こって、"まだこのままでいたい"と無意識の私が抵抗して来ますが
"どうしてこのままでいたいのか"その根っこが理解できているし

その感情との接し方も理解できているので
その度に私は、その感情を身体から外に出して、それを繰り返しをしながら
今の自分の気持ちと、幼い頃の自分の気持ちの両方を大切にして進めています。

そんな感じで、身体の感覚を使いながらメンタルブロックと向き合ったり
初夏に壊れた体の事とまだ向き合っているのもあって
心と身体の繋がりを感じながらここ最近は過ごしていました。

 

今の私にとって、とても大切な事に気づくことができて
そしてその気づきから癒しが起こった時に
私はまた、自分の人生を少し好きになれるこの瞬間が好きです。

些細な気づきが、少しずつ、私を私に戻してくれているのだから。
この積み重ねを大切にして行きたいです。

 

心と向き合うために必要なことは、
心を鍛えて強くすることではなくて、その強さや力みを剥がして行くことが大切ですね。

少なくとも私は、力が必要のない心と身体になりたいです。

そのためには、もっともっとも〜〜〜っと手放していかなければ…ですね。
その過程を楽しみながら進んで行こうと思います♡

 


近所のお散歩コース。
そろそろ綺麗な紅葉が見れるかな^^

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