書くとは手放すこと
自らの経験を、それにまつわる言葉を
他者に開かれたものにしようとする営みではないだろうか
今朝読んでいた詩集の中に書いてあった言葉。
なんて素敵な言葉なんだろうと、朝からとても癒されておりました。
この言葉を目にして思ったこと。
それは、ブログにしてもそうですけど
書いた瞬間に、もうそれは自分のもののようで、自分のものじゃないような
そんな感覚が確かにあるなってこと。
文章にして伝えた瞬間に、それはもう手放したも同然で
そしてまた私は新しい何かをインプットしては、またこうしてここに書き留めて
読者さんやクライアントさんに届ける事を通して、手放す事を繰り返している。
この言葉を目にした時にそんな事を思っていたのですけど
そうしたら、今日の午後に
お世話になっているコミュニティの配信があり
その中で先生がこう仰っていました。
「生きてきた過程で気づきを得たこと、その心理を伝える」
「出したらその瞬間にそれは過去になる」
今朝読んだ詩集とは全く別のお話をして下さっていたのですが
先生がお話してくださった言葉と詩集に書かれていた言葉がリンクして
これまでの自分の感覚が繋がって、腑に落ちた気がしました。
数年前のブログ記事や、ついこの間の記事にしてもそうですけど
たまに読み返してみると無性に記事を消したくなってしまうんです。
そして実際によく記事を消してしまっていました。
当たり前ですけど、学ぶ事を続けていると、考えや価値観がその都度変わっていきますから
数年前に書いたことは、今の私にとっては、とっくに過ぎ去ったこととなり
今の自分と当時の自分の考えが、カチッとハマらなくなってしまします。
そうやって文章を通して過去の自分を知ると、恥ずかしくなってしまっていた。
数年前に教えていただいたことの意味を
やっと今になって理解できるようになっている事に気がついたりすると
それと同時に、
数年前は理解できているようで、全く理解できていなかったんだという事を知る事になる。
その繰り返しが私に恥ずかしさを与えるのだけど
その繰り返しが今の私を創っているのだから
そんなに恥ずかしがることはないのかもしれないし
もっというと
恥ずかしい思いをすることは、恥ずかしいことなんかじゃないなって思いまいした。
数年前の自分と今の自分の考えが変わるなんてことは、とても自然なことで
先生ですらそう思われるとお話して下さったのだから
ごく当たり前の感情なんだとやっと感覚が落とせそうな気がします。
私は過去の自分を恥ずかしいと思う癖があるのですが、
改めてその事と向き合おうと思えた、そんな1日でした。
写真は実家の庭で育てている野菜達。
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