霧が晴れて繋がりを感じたこと

 

ここ数年、自分ひとりでは対処できないような事と向き合ってきました。

季節の移ろいも大好きな冬にも目がいかず、書くことも読むこともほとんどしなくなり
ただただ治ると信じて、心も身体も猪突猛進の日々。
「立ち止まるのが怖い」という言葉をどこかで聞いた事がありますが、今思うと正にその様な日々でした。

少しでも自分自身に考える隙を与えてしまうと、絶望しか感じられず、その感情と向き合う事がとても辛かったのだと思います。

それに加えて、今までにないぐらいの無価値観を感じることもあったり
もう自分ひとりではどうにもならないと、先生に相談をして、自分でも感情解放をして
なんとか心を静めることができるようになりました。

そうして、後悔と向き合っていくうちに
心の奥底に沈着して、なかなか浮上してこなかった恨みや残虐性までもが出て来るようになり

こんな気持ちを閉じ込めていたのだから、それは辛いに決まってるよね。
と自分の気持ちに寄り添いながら、とにかくそういった感情を外に出しておりました。

感情解放は、数年前にコーチングを受けていた時に出来るようになった独自のもので
それが出来るようになってからは、自分の感情をしっかりと感じ、放出できるようになったと実感しております。

最近はクライアントさんにもその方法を少しずつお伝えしているのですが
個人差はあるものの、皆さん少しずつできるようになってきて
その効果を見ていると、溜め込んだ感情をちゃんと外に出してあげるのって、とても大切な事だなと改めて思いました。

 

抑圧した感情が現実に投影される、というのはとても有名な話ですね。

どの感情も、体験しきると終わる(消化する)と言われております。
だけどその感情を感じ切る事なく押し込めてしまうと、未消化となったその感情は
その感情を終わらせる(消化させる)為に、また同じような経験を望み、同じような体験を引き寄せるのです。
もちろん無意識に。

例えば、「怒ってはいけない」という思い込みがあったとします。
そういう方の多くは、怒りという感情を閉じ込めると思うのですが
そうなると、消化しきれなかった怒りは、怒りを終わらせるために、怒りを感じる体験を引き寄せるのです。

ある事を経験して怒りを感じる

怒ってはいけないと思い込み、怒りを抑圧する

抑圧すると、感情が消化せずに無意識の中に溜まっていく

溜まった感情を消化する為には、その感情を感じきる必要がある

抑圧して感情を消化するために、同じような経験をしてその感情を感じ切ろうとする

怒りを消化させる為に、怒りを感じる経験を引き寄せる

怒ってはいけないと思い込み、怒りを抑圧する

 

「怒りを感じて良いんだ」という事に気づかない限り
怒りを消化させるチャンスが訪れても、怒りを感じることをしない限り、また怒りを引き寄せてしまうのですね。
そして、怒りのループが終わらない。

プラスの感情を感じきることにはなんの抵抗もないのに
マイナスの感情を感じきることには、ものすごく抵抗してしまうのですね。

 

とはいえ、怒りに気づいて、その時の怒りを感じるだけではなく、
過去の怒り(繰り返される怒りの根っこ)について、もう少し深いところまで内省できると尚良いのですが
それが出来ずとも、どんな感情をも感じる許可を出し、しっかりと消化していくことで終わらせることが出来ることもあります。

 

そんな感じで、私もここ一年ぐらいは特に、どんな感情も許して消化してきました。
今も苦しい時期が続いているとは思うのですけど
それでも9月に入ってからは、気持ちがスーッと楽になった瞬間がありまして。

だけど、もしかすると気のせいかなって思ったりもしたのですが
次の日、クライアントさんとのセッションのやり取りの中で
そのクライアントさんの、長いトンネルの出口を見つけられた時に思ったのです。

私が変わると目の前の世界も変わる。
私が変わることでクライアントさんも変わる。

それは、私が頑張ったからクライアントさんが変わったということではなくて
とても簡単に言うと、「繋がっている」という事なのだと思います。

気づきを得られた時の、あのハッとする感覚を経験しているクライアントさんを見ると私も嬉しくなります。
そうして、私ももっともっとゴールに近づきたいと思うのでした。

 

 

北海道は紅葉が始まりつつあります。

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