自己受容を体感する

先月から、改めて自分と向き合う事を始めました。
自分一人で進めていくのではなくて、先生と一緒に。
なのでいつもよりも、内面に意識を向ける時間が増えた気がします。

前々から分かってはいたのですけど
私の無意識は、苦しさを求めていて

苦しみを得ながら向き合っている人が羨ましい、とか
人生とは苦しい経験をした分だけ深みが増す、とか
苦しさを乗り越えた時には素晴らしい成長が待っている、とか

そんなふうに思っているから
自分にも他人にも、そういう反応を無意識にしてしまっています。

もちろん、苦しさを経験することで得られる事も沢山あると思います。
だからその考えは間違えではないと思うのだけど

苦しみ=良いもの という思い込みが強いほど、苦しみが常に私に付き纏ってくるのだと
昨日の夜、ワークをしながら、自分自身と対話をしていて改めて思いました。

そして同時に、自己受容がどれほど大切な事なのかも体感として得られた事は
私の中ではとても大きな出来事だった気がしています。

私のように、無自覚に苦しみに意味を見出してしまっている人は
きっと、自己受容をしているつもりでも、なかなか出来ていないだろうと思うのです。
私自身がそうだったように。

自己受容とは、そのままの自分を受け入れること。
どんな自分にも優しく接すること。

それは、いくら言葉を使って
「私は自分を許します」と言ったところで、なかなか得られるものではないなって思うんです。

じゃあどうしたら良いのかというと、
思考とは別のところにある、自分の気持ちを見つけてあげて、その気持ちを感じてあげること。
例えばそれが、どれだけ残虐的な感情であったとしても、否定をしないこと。
時間をかけて、ゆっくりと、置き去りにしてきた自分自身と触れ合うこと。

そうやって、丁寧に自分の気持ちを見つけて感じてあげると
ワークが終わった時に、まるでヒーリングを受けた時のような
胸の辺りが満たされる感覚になるのです。
そしてその感覚が長い時間続きます。

私は瞑想をしていると、たまに誘導ワークのように声が聞こえたり
今回のワークの時にも、インナーチャイルドが私の手を取って指示をしてくれたりと
ちょっとよく分からないことが起こるのですけど
それに対して、頭であれこれ考えることはせずに、流れに身を任せるようにしています。

頭では心を癒すことはできないから
予想外のことが起こってもジャッジはせずに、体感や感覚を頼りに
自分の本心を見つけてあげたいなと思うのです。

そんな気持ちでスタートした2023年。
皆さま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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