完璧主義をやめるには反応を理解すること

 

お世話になっているクラスの中で、1ヶ月間の振り返りをしている時に
「昔に比べると、ずいぶん生きやすくなったな」
ふと、そんな事を思いました。

 

両親との関係が、新しい形となって
良い方向に向かうようになったのはもちろんの事

それ以外にも、自分自身を苦しめていた多くのことから
ちゃんと手を放せている事を改めて感じられました。

そのひとつひとつは、とても小さな事だけど
その沢山の小さな事に、私はガチガチに縛られていたのです。

当時に比べると随分と心が緩んだと思います^^

 

だけどそれは、自分の心と向き合ってきたからではなくて

年齢を重ねると、ある程度それと並行して少しずつ成長していくように
そうやって時間が解決してくれた事なのか

あるいは、もう手放すしかないくらいに限界に来ていただけなのか
実際のところよく分からない。

そう思っていたけど

 

クライアントさんがご自身と向き合うことで成長していく姿を身近で見ていると

私のぼんやりとしたその疑問に、ちゃんとピントが合い
私も、私自身と向き合ってきたから今の私がいるんだと、受け入れる事ができます。

 

・自分がどれだけ成長したのかを過剰に表現する人
・自分がどれだけ成長しても中々認めたくない人

どちらが良い訳でも悪い訳でもなくて、両者ともただの反応ですが
私はというと、圧倒的に後者側のタイプです。

成長を認めたくない。

 

「変わったね」と言われても「そんな事ないですよ」と反射的に言葉が出そうになるし
心の中では、成長した事実を思いっきり否定したがっている私がいたりして

そんな時、心の奥底を覗いてみると、小さな私がいじけている。
「成長すると構ってもらえない」という、心の奥底にある思い込み。

この状態の時は、探ってみると色々なパターンが見えてくるのだけど
辿り着くところは、自己憐憫です。

 

私は昔から頑固だとよく言われます。
自分の気持ちを曲げたくないし、曲げたいと思っていても素直になれずに更なる頑固者となってしまう。

だから「変わった」と認める事がなかなか出来なかったのだけど
今は割りと、変わった事実を素直に言葉に出す事ができるようになりました。

 

それは、自分を過大評価しているわけではなくて
事実として、出来なかった事が出来るようになったという事を、ただ認めるという作業。

そして、それと同時に「出来ないこと」を認めることも昔に比べると出来るようになりました。

 

認めるという作業は、認めたくないという気持ちが強いほど反応を伴いますが
その反応が大きければ大きいほど、成長するチャンスがそこにはあります。

それが理解できると、認めたくないことを認める事ができるようになってきます。

 

数年前は、完璧主義で頑固者な自分自身に随分と苦しめられていましたが、今はだいぶ楽になりましたし
そうやって完璧主義ではない自分を見せられるようになってからは、他人を許せるようにもなりました。

(完璧主義の方は、相手にも無意識に完璧を求めてしまいますから
知らず知らずのうちに、他人をジャッジしてしまうのです。)

 

反応を理解すると、こういった事が少しずつ暖和されて生きやすくなってきます。

 

もちろん、私もまだまだ至らないところだらけではあるけど
それでも、少しは成長しているのだと、ちゃんと自分自身に知らせてあげたい。

クライアントさんの成長を見てそんなふうに思ったのでした。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)