誰かに愛されたいのは自分を愛したいから

 

今日は前回書きたかったことを書かせて頂きますね^^
前回の記事はこちら

 

この間、Twitterでこんな事を呟きました。

 

 

これは以前の私の事です。
自覚はなかったのですけど、私は人に嫌われるのが怖かったようで

無理に誰かに合わせて
気の利く友達よりも、更に先回りして気を遣い

少し大げさかもしれないけど
そうする事で、私の存在価値が見出されるような気がしていて
だから、心の中はいつも疲れているのに、NOが言えずに常に気遣いをしていました。

当時は良く分からなかったけど、今ならその時の自分の状況が良く分かります。

それは"周りから愛されていたい(嫌われたくない)"という想いもそうなんですけど
その想いの奥に"自分を好きになりたい"という想いがあったからなんだと。

 

だから、誰かに認めてもらう為に自分を抑圧して
それで周りからはそれなりに評価して貰えているのに、私は全然満たされなくて

だけど、内側から自分を満たす事を知らないから
また自分以外の誰かに認めてもらう為に、相手に合わせて気を使うことが止められず
自分でも良く分からない負のループの中にどっぷりと浸かっていたのです。

結局私たちは、どれだけ周りから愛されて必要とされていたとしても
自分自身を愛せていないと、満たされることはないんです。
そしてその事に気付けずにいると、その満たされない想いは外へ外へと向いていって
内側にある本当の自分が置き去りになってしまうんですね。

 

八方美人とか、自分の意見が言えないとか
そういった方はネガティブに捉えられてしまいがちですけど

そうやって人に合わせたり自分の意見を抑える事で、誰かに愛されたくて
そして、誰かに愛される事が自分自身の価値に繋がるんだと
無意識に思ってしまっているんだと思います。

 

例えば幼少期の頃
妹や弟の為に我慢をすると、母親がとても褒めてくれたとします。
そしてその体験が、当時のあなたの中に刷り込まれたとしたら

「我慢をする事で愛される」

という、思い込みが無意識下に出来上がってしまいます。

 

そして、幼少期は親の愛で自分の存在価値を測ってしまう事がほとんどなので
今回の例えで言うなら

母親に愛される事で、自分自身の価値を感じられる。
母親に愛される為には、我慢をする事。

我慢をする→母親に愛される→自分自身が満たされる(自分を好きになれる)

というような、偽りの歓びを感じるようになるのです。
ありのままの自分ではなく、我慢した偽りの自分が愛される。
その想いが強くなると、「我慢しなければ愛されない」という思い込みが出来上がり

そしてそれが無意識下に刷り込まれると
以前の私のように、自分を押し殺して我慢をして気を使って
その見返りに、その誰かの愛情を求めてしまうのです。

 

母親に愛されないと自分の価値を感じられないのと同じで
誰かに愛される事で、自分を愛す事ができて、満たす事もできると無意識に思い込んでしまっているのです。

 

だけど、我慢をする事で愛されるという事は
本来のあなたを否定してしまうことになり
結果的に、『偽りの自分を愛して』と言っているのと同じ事になってしまいますので

「我慢をすれば愛される」「我慢をしないと愛されない」
などの条件付きで得られる愛情は、本来のありのままのあなたを置き去りにしている事になり

だから表面的な愛情を得られたとしても、内側は苦しくなってしまうし
我慢をする事で周りから愛されたとしても満足できないんです。
我慢をしてでもあなたがほしいモノは、誰かに愛される事ではなくて、自分を愛し、満たす事。
ありのままの自分自身を愛したいだけなんですね。

 

つまり、誰かに愛されたいという承認欲求がベースとなり、それが反応として出ている場合
その「愛されたい(嫌われたくない)」という想いの奥にあるのは
「自分自身を愛したい」という想いなのです。

 

幼少の頃は、親に愛される事で自分の価値を感じていたし、それは必要な事だったけど
大人になった今、親や誰かに愛されなくても自分に価値を感じることはできるんです。

むしろ、自分を押し殺してまで気持ちを抑えていると、自分自身を見失ってしまい
愛を感じたくて、満たされたくて、周りから承認を得ようとしているのに
そうすることで、結果的に自分を好きになることから遠のいてしまうんです。

 

なので、自分を抑えて誰かに合わせている事に苦しくなったり
ほんの少しでも疑問を持ったのなら、一度考えてみてほしいんです。

本当のあなたは何がほしいのか。
『みんなに愛されたい』『みんなに嫌われたくない』
その想いの先に、あなたは何を願っているのかを。

 

その願いに気づけるようになると、別の視点で考えるようになります。

今までは、自分の気持ちを抑えてでも
みんなに愛されたい(嫌われたくない) →  NOを言わない、我慢をする

という選択をしていたけど

自分の気持ちを抑えてまで私がほしかったものは
みんなに愛される事ではなくて自分を愛する事だった、と気付けたら
自分を愛したい → NOを言ってみる、自分の気持ちを大切にしてみる

という風に、意識を向ける場所が変わってきます。

 

こんな風に少しづつで良いので、外側に向いている意識を自分に向けて
愛される為に無意識にしてしまっている事を手放していきましょう。

 

あなたが普段、愛される為に無意識にしてしまっている事は

人に気を使うことかもしれないし、
誰かの気を引こうとする事かもしれない。

喜ばせることかもしれないし
怒らせることかもしれない。

きっと、人によって様々なパターンがあるはずです。

 

愛されたくてしていた事を手放すのって、最初は怖いんですよね。
だけど手放していく過程で、これまで感じたことのない、別の想いに気づけるようになってきますし
そうする事で、本当の自分の想いが顔を出してくれるようになります。

偽りの自分で誰かに愛してもらっても、そこで苦しさや違和感を感じていては、
あなたにとっての居心地の良い世界は創れませんよね^^
居心地の悪い環境を自ら創り出して、そこに居続ける選択をしてるのは自分自身です。
だけどその選択は、自分自身で変える事ができるという事でもあります^^

大人になった私たちは、常に選択をしています。
意識的にも無意識にも。

 

とは言え、大人の事情で
その場では無理に我慢する事や、無理に気配りをしないといけない時もあるでしょうし
分かってはいるけど、いきなり自分を変える事はできない、という方もいると思います。

そんな時は、意識的に選択をすれば良いんです。

「今は必要だからそうしている」「まだ出来ないから今はそうしてる」という風に。

無意識にそうしてしまっているのと、意識的にそうするのとでは全然違うんですよ。
意識的な選択は、本当の意味で気持ちが引っ張られる事はなくなりますのでね^^

 

意識をするだけでも心は変わってくるんですよ^^

 

本当はもっと分かりやすく簡潔に書きたかったのに、長々と書いてしまいました…
読みにくかったらすみません…
こちらの記事は、少しずつ修正していこうと思います。

 

 

香港最古の道教寺院。
天井に大きな蚊取り線香がたくさんあって、とても綺麗でした。

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