泣くことに許可出すことの大切さ

 

喜怒哀楽を感じない事が悩みの一つだった私ですが
無意識と向き合うようになってからは
ちゃんと感情が湧くようになり、何より良く泣くようになりました。

 

瞑想を使って感情を解放していた頃は、毎晩泣くことを8ヶ月間も繰り返したりしていたのですけど

きっとその経験があったからこそ
古い傷に触れた瞬間に、反応としてちゃんと涙が出るようになったのだと思います。

 

そして今年に入ってから、発達性トラウマを勉強していて
そのクラスの中で、皆さんの前で自分の心と向き合う機会があるのですけど
そのときも、私はよく泣きます。

と言うより、ここ最近「泣くことを許可しよう」そんな決意をしました。

 

1人で内省をして涙が出るようになった最初の頃は
平気で2時間ぐらい泣き続けたこともあったけど

クラスの皆さんの前で泣くのにはとても勇気が必要で。

とは言いつつも、勇気がなくたって自然と涙が出るのだけど
どこかで泣きたい気持ちを抑えている事がよくあったのです。

 

大人になると、多くの場合は
人前で泣くことを無意識に拒むものだと思って疑わなかったので
皆さんの前で泣くことを、ただ恥ずかしく思っているだけだと
「泣くことを我慢している私」に関して、そんなに疑問を持たずにいたのですが

 

だけどその一方で
泣きたい気持ちを抑えなければ、何かが炙り出そうな、そんな感覚があって

泣くことを我慢することで、その先にある本当の気持ちに辿り着けないもどかしさと
本当の気持ちに触れなくて良い安心感があったり

泣くことや、泣くことを我慢していることに対して
言語化できていない気持ちがずっとどこかで引っかかっていました。

 

それで、そのことについて自分の心に問い掛けてみると
泣くのを我慢しているのは、大人意識の私ではなく、子どもの意識の私だったことに気付いたのです。

 

そのことに気付いてからは、「よし、泣こう」そう決意して
そんなこともあって、ここ最近は、毎回のように泣いている気がします。

 

そういえば小さい頃、私はとても泣き虫で
小学生の頃に、幼稚園の子に泣かされたりするぐらいの泣き虫でした。

なのできっと、内省して心の傷に触れるたびに泣いてしまうのは
幼い頃の私の意識がちゃんと上がってきてるという事なんだろうなと思っています。

 

それとは別で、小学生の頃
「怒りを感じることは苦しいこと」「怒りを感じるから、怒りが増す」
その事に気づいた瞬間があって

その頃から、表面では怒りを抑えられるようになってしまったのですが

 

「泣くのを抑えてしまうこと」も、その時の感覚に少し似ていて

「泣くのは苦しい事」「泣くと悲しさが増してしまうから苦しい」
この感覚が私の中のどこかにあるような気がします。

 

確かに泣いてしまうと、その奥にある何かに気付いてしまう怖さはあるけど
今の私には、その怖さを超える必要があるし

なにより「せっかくの変化のチャンスを逃すわけにはいかない」
その想いの方が上回ってきています。

 

「泣く」という反応に限らず、どんな反応でもそうですけど
その奥に意識を向ける事に許可を出すと
そこには本当の自分の気持ちがちゃんとあるのです。

 

受け入れたくない事や見たくない事
その先に一歩足を踏み入れる決意をして、その先に行ってみる。

そういった経験を積み重ねる事で
「決意をする」という事の大切さが腑に落ちてくるのです。

 

モヤモヤの先に、自分で足を踏み入れることはとても勇気のいることだけど

認めたくない気持ちほど、認める必要があるし
大きな反応に向き合うほど変化をもたらしてくれる。

その感覚を、体感しに行くと決めること。
そして、モヤモヤした気持ちを自ら掴みにいくこと。

そう決意するだけで、また変化する事ができる。

そんなふうに思うのです。

 

**

セッションをご希望の方は、こちらからお問い合わせください^^

・セッションについて

 

和柄のうちわに癒されて、それだけで来て良かったと思いました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)