あなたは普段、どんな呼吸をしていますか?
呼吸は無意識にしているので、こんなふうに問いかけないと、なかなか自分の呼吸に意識を向けることってないんですよね。
心の本なんかを読んでいると
呼吸にはその人の人生が現れるとか、呼吸は心が反映されているとか
そんなふうに書かれている事は珍しくないのですが
毎回その類の言葉を目にするたびに、我に帰るような、そんな感じがします。
私はと言うと、瞑想が習慣になる少し前に、呼吸の浅さを指摘して頂いた事があって
それから呼吸を観察するようになって気づいたのですけど
わたしには、「吐く息を止める癖」と「吐く息を飲み込む癖」がありました。
この両方の癖を、心の視点から考えてみると
呼吸を止めるように、自分を外に出さずに閉じ込めていたり
呼吸を飲み込むように、言いたい事を飲み込んだりして
自己表現ができなかったりとか、そういった事に繋がります。
(瞑想や呼吸法を通して喉(第5チャクラ)に違和感が出るのも自己表現のブロックに繋がります)
もう少し別の視点から観ると、
「吐く息を止める事」「吐く息を飲み込む事」というのは、息苦しくなる原因になり
結果的に、(無意識に)自ら苦しさを選んでいたり、息苦しい現実の中にいる事になるのですが
正に、私がそのような感じでした。
私は、幼少期の自分の人生を例えるときは
「息苦しい幼少期だった」と良く言っていました。
全ては繋がっている、という視点で観ると
セルフトークからも心と体の繋がりを観る事ができます。
つまり、息苦しい人生だと口にする事が多かったり、そう感じている方は
無意識に息苦しい呼吸をしていたりするのです。
呼吸が浅かったり、私のように呼吸を止めてしまっていたり、飲み込んでしまっていたり。
無意識に呼吸をするのは、自分の人生を生きる為。
無意識に呼吸を止めてしまうのは、自分を抑圧する為。
この矛盾が、生き辛さを生んでしまうのですね。
それに気づいてから、瞑想中に呼吸法などを使って、息を吐く事を意識していたのですが
息を吐くというそれだけの事なのに、上手にできなくて、苦しくて
わたしにとっては、息を吐くように自己表現をするよりも
自己表現を閉じ込める為に、息を止める方が心も身体も楽だったのでしょう。
というより、長い年月を通して
自己表現をせずに自分を閉じ込めるのが上手になり、
そういう私になってしまっていたのです。
ただ長く細く息を吐くだけなのに
心がモヤモヤして、呼吸の苦しさと一緒に、心が苦しくなり、涙が止まらなくなり
こうなると、苦しさを味わいたくなくて、泣きながらまた無意識に息を止めしまう。
そしてそれに気づいて、また呼吸と共に感情を外に出す。
そんな事を繰り返し行っていましたが
瞑想や呼吸法を通して、呼吸に意識を当てた事で
閉じ込めていた自分を表現したい気持ちを外に出せるようになり
それと平行して、思い込みも手放していったので
数年前に抱えていた自己表現に対するジャッジはある程度手放せました。
呼吸って、いつも何かと何を繋いでいるって私は思っています。
無意識と意識の間にあるのも呼吸ですし
心と体を繋いでいるのも呼吸。
そして、過去に引っ張られている自分を取り戻す時
呼吸を意識すると、今ここに意識を当てることも出来る。
こんな素敵な事はないなと私は思います。
とは言え
私は瞑想を習慣にしているので、こうして呼吸の習慣に意識を当てましたが
別に呼吸じゃなくたって良いんです。
私たちは、毎日の生活を習慣の中で生きていますよね。
大きな習慣から小さな習慣まで、わたしにもあなたにも、それぞれの習慣があり
その習慣の積み重ねが今のわたしを創り、今のあなたを創っています。
そしてその殆どの習慣が無意識に行われていますので
意識的に変えていかないと習慣は変わらないし
そもそも意識をしないと、自分がどんな習慣を持っているのかもわかりません。
なので、呼吸の習慣ではなくても良いので、習慣に意識を向けてみると良いですよ。
心の習慣、行動の習慣、体の習慣、呼吸の習慣。
どの習慣に意識を当てても良いのですけど
根本的に変わる為に大切なの事は、あなたの無意識にあります。
どんな方法を選ぶかよりも、どう向き合うのかが大切という事ですね。
それを理解する事が出来れば、あなたもきっと変わる事ができますよ^^
この写真は、香港の公園に立っていた大きな木。
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