"生きるとは恥を重ねること"
最近読んだ小説の中にあった言葉です。
その言葉を見たときに、「そっか、そうだよね、そうなんだよね」と
まるで私に伝えてくれたかのような気持ちになり、心の中で深く深く頷きました。
心のことを勉強していると
ある感情に対して、別の角度から捉えられるようになってきて
その感情がなくなったり、別の感情に変わったりするという事が分かるようになってきます。
「恥」についても同じで
恥ずかしいと感じていることだって、捉え方を変えることができると
それ自体が存在しなくなったり、プラスに変化することも良くあります。
だけど、今回はそういう話はとりあえず置いておいて
"生きるとは恥を重ねること"という言葉をそのまま受け止めたいって思いました。
「恥」という後ろ向きな気持ちが湧いた時の対処法はあったとしても
「恥」という感情を湧かないようにすることは、無理だと思うからです。
もちろん、心の仕組みが腑に落ちてくると
今まで恥ずかしいと感じていたことを、恥ずかしいと感じなくなるということはありますが
生きていれば、当たり前のように全ての感情を感じるものです。
「恥」に限らず、失敗を経験しないて生きていくことも無理なので
生きるとは失敗を重ねること、とも言えるし
悲しみを経験しないで生きていくことも無理なので
生きるとは悲しみを重ねること、とも言えます。
それに、後ろ向きな感情を感じるということは
一生懸命生きているという証とも言えるなと思ったのです。
数ヶ月前に先生から「陰陽でいうところの陽をみること」とお話を頂いて、そのことに気づかせて頂きました。
私も結構頑張ってるんだな、と。
クライアントさんの事となると、よく見えることでも
自分ごととなると、なかなか見えなくなってしまうなと改めて思ったのでした。
"生きるとは恥を重ねること" それは、とても普通のこと。
写真はアイヌ民族博物館近くの景色。
最上徳内さんが江戸時代に、蝦夷地に可能性を感じたという当時の北海道は、もっともっと広大な景色だったのかな。
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