好きの感覚が広がってきた話

去年の秋頃に買って、読まずにいた小説を読み始めました。 好きなのに、興味があるのに、もっとその事について知りたいのに、それなのにずっと本棚の隅に置いたままだったのです。 だけどやっと手に取り、1ページ目をめくって、一番最初にあった文章の 「薄くけぶる暁に、淡やかな雪が舞う」という言葉を目にしたときに もっと早く読み始めたら良かったと後悔しました。 きっと素敵な言葉がたくさん詰まっている本だろうと感じたからです。 私は、いかにも歴史小説らしい、現代では感じられないような情景を思わせる 古い時代の言葉や、表現にとても癒されるのですが 例えば、「思う」という現代の言葉を「思ふ」と読むだけで 胸の辺りがふわっとして、無意識にため息が漏れてしまうぐらい好きだったりします。 そんな訳で、その1行を何度も読み返してはその言葉を味わって 心地よさを感じる事をやめられずに、1ページ目を読み終えるまでに時間がかかり 2ページ目も、その先も、何度もそんなことが続いたので、結局その日は10ページも読めずに終わりました。 こういう時、いつもの私だったら、どれだけ心地よさを感じられたとしても 「どうして時間はたっぷりあったのに、数ページしか読めなかったの」と自分を責めていたな、とふと思いました。 心地の良い、楽しい時間を過ごせたことよりも 効率の良さや、どれだけ出来たか、ということに囚われてしまって 何かと自分を責めてしまい、結局いつの間にか心地よさから遠ざかってしまっていたなと、そんな事に気がついたのです。 実はこの日の前日、先生とのワークの中で、「楽しい事をしてはいけない」という気持ちと向き合ったばかりだったので きっとそのワーク後の変化の現れなのだろうと思うと、ありがたい気持ちになり こうして少しずつ、少しずつ、固結びになっていた心が解けていくんだなと、自分に起こっている変化を嬉しく思いました。 ワークをしていると思うんです。幼い頃の自分を取り戻しているんだなって。 できる範囲で、その時の感情を経験してるんだなって。 小さな子どもって、例えばお散歩中に 犬を見つけて立ち止まって触ろうとしたり、道に咲いている花を見つけては摘もうとしたり その時々で好きなことをしながら、あっち行ったりこっち行ったり そうやって進んでいくと思うのですけど、私は幼い頃、そういうことを経験できなかったのだと思います。 だからなのか、ワーク中に私の中にいた女の子は、思う存分 あっち行ったりこっち行ったり、色々なものに興味を持ってはそれを楽しんでいたのです。 そして重要なのは、そういう行動の全てを私が受容し、見守ってあげたこと。 そのことを思い出しつつ、今回の私の変化を考えていると 好きの気持ちが色々なものに分散されたって、好きの気持ちが長く続かなくたって、なんだっていいんだなって思いました。 自分でも理解していない型の中に、自分を置こうとしていたけれど、その必要はもうないなって、そう思いました。 物心ついた頃には、親の機嫌を伺って、怒られないようにビクビクしながら生活していたので 気を遣わずに気にせずに、好きなことを好きなだけするということができなかったので 楽しむことも、やりたいことも、否定してきたのだろうと思います。 それが当時の私にとって、自分の心を守る最良の方法だったのでしょうね。 そして、それを今もなお続けていたんだなって。 その気持ちを解放できてきたから、少しずつ好きの気持ちが広がっているんだなって、この数週間で思うようになりました。 なので、小説は数ページしか読めなかったけど、その数ページの中で、目一杯好きを楽しめたことに意識を向ける事にしたのですが そうしたら、昨日新たに読み始めた小説からも、また好きが広がってきて。 先生にリーティングをしていただいた時に 今世に強く影響を与えている前世は、大和時代の巫女と、研究者の過去生だと教えて頂いたのですけど その読み始めた小説に、その二つの要素が同時にあるという事に先ほど気がついて、感動しておりました。 だけどよくよく考えると、私はずっと前から その小説に書かれてあることに無意識に惹かれていたんだなって思います。 ただ、そういう分野があることを知らなかっただけなのだな、と。 もう少し色々調べてから、こちらでもいつかシェアできたらなと思います^^ ここからまた自分の中にある好きが広がっていくのかなって、そう思うととても楽しみで さっそく関連する本をいくつか注文して、行きたい場所を探している途中です。   心のことを勉強すると、ある程度は色々なことがわかってきます。 この反応は、こういうことだなって。 この行動パターンは、きっとこうだろうなって。 だけど本当の意味で理解するには、そのプロセスを経験して、体感しないとなかなか難しい。 そう思います。 なんだか私は毎回、何かに気づいて、手放して、ということを書いていて 変化しているようで、変化できていないのかななんて思うのこともあるのだけど 内省というのは、こういうことの繰り返しなんだなって思うのです。 それでいいんだなって。 ということで、しばらくは自分の中で広がってきた好きの感覚を追求して楽しみたいなと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です