変わるものと変わらないもの

 

 

下記の記事は、去年の8月にアメブロに書いた記事の一部です。

 

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自分の世界には無いと思っていたものが、本当はあったんだとわかった瞬間
無かったと思っていた(思い込んでいた)自分を、無かったことにしてしまう。

 

例えば、両親から愛されていなかったと思っていたのに
実は両親は自分を愛していたと知った時、
「愛されていなかったと感じていた自分が間違いだったんだ、私は愛されてたんだね」と
それまで確かに自分の中にあった「愛されていなかった」という気持ちに蓋をしてしまう。

だけど、「愛されていなかったと思っていた自分」と
「あなたをずっと愛していたと言う両親」は、全くの別物。

愛されていなかったと思っていたのは、あなたの中にあった真実で
あなたを愛していた両親の気持ちは、両親の中の真実。

 

だから、両親に「あなたをずっと愛してきた」と言われたからといって
反射的に両親の気持ちを優先して
愛を感じられなかった自分の気持ちを覆いやることはしなくて良い。

 

自分と両親の気持ちのどちらか一つだけが正解なんじゃないし
あなたの中にあった愛を感じられなかった気持ちと
両親の中にあったあなたを愛していた気持ちの、それぞれを大切にしたら良いし
あなたの気持ちを、両親の気持ちで書き換えることはできない。
そもそも両親の気持ちはあなたの気持ちではないから。

 

向き合うべき事は、両親が自分を愛していたという事とは関係なしに
「愛を感じられなかった」と思っていた頃の自分を観てあげること、感じてあげること。

 

そして、前にも少しお話しましたが
最終的には「愛に気づくこと」「感謝をすること」にたどり着けるのが理想かもしれませんが、

 

自分の中にある「悲しい」「苦しい」「愛して欲しい」というよな想いに蓋をするように
ポジティブな言葉を被せていても、内面的なものは何も変わらないという事も多いのです。

 

例えば内観にも色々あって
「感謝に気付けば愛に気づける」というような内容で
両親や家族への感謝に気付く為の内観があるのですけど
内観してみんなが同じ答えに辿り着くなんて事はないんじゃないかって私は思うのです。

 

私のように感謝ばかりしてきて
「感謝しなければいけない」というメンタルブロックがある人は
本当は感謝していない自分や、感謝せざる得なかった自分に気付く必要があると思うし

愛に溢れていると思い込んでいる人は
思い込んでいる自分に気づいて、愛を感じられていない自分を観てあげる必要があって

「感謝をする」「愛を知る」と自分の気持ちに蓋をすることでは
本当の意味では解放されることはほとんどないと私は思っています。

 

人によっては、ゴールは感謝かもしれないし、感謝ではかもしれない。
愛かもしれないし、愛ではないかもしれない。

だから、全ての人が感謝や愛に向かって走り続けるのは、やっぱり何かが違う。

 

だけどそれが間違いだって言ってるのではなくて
感謝や愛を知るという事は、ある意味、結果論だと思うんです。

「自分と向き合うことで自然と感じられるようになる」という結果論。

 

そしてそれは、誰かに感謝する事や誰かの愛情に気づくというような事よりも
自分を愛せるようになるという事で
そうなる事で、それまでの捉え方とは違う、あたなにだけの捉え方が出来るようになって
そうして自分の世界が広がるということなんだと思います。

 

私は最近新しい学びがスタートしたばかりで、今何が始まっているのか
今取り組む事にどんな意味があるのか全く分からないけど、私には私の答えを見つけたいって強く思います。

そしていつか同じ想いをお持ちの方に、何かを提供できる自分になりたいです^^

 

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こんなことを、去年の8月に書いていました。

 

今も、当時と同じような気持ちではあるのですけど
この記事を書いた時よりも、この記事の意味を深く理解することができていると思うし

 

「自分らしく生きていきたい」という想いも変わらないけど
だけど、前よりも深みが増したような、そんな気がしています。

 

 

昔から、「自分を認めることは大切ですよ」ってよく口にしていたけど
そのことに対する考え方の幅も、広く、深くなったなってきて
だからこそ、向き合うことに対する苦しみも味わえるようになってきました。

 

昔は、向き合うとかそういうことに対して
浅瀬をぐるぐると回っている感じだったので
そんなに苦しみを感じることはなくて
だから当時は、自分自身と向き合うことで
葛藤したり、辛そうにしている人が羨ましかったんです(笑)

 

今は、その葛藤する苦しさを少なからず味わえているので
そう考えると、当時の私が思い描いていた理想の道を
今しっかりと進むことができている事と、
それから、私がしている事や、進みたい方向性は
以前と今とではそんなに変わってないけど
だけど、理想の自分になる為に必要なところは
少しづつ変わってきてるんだなって思うと、嬉しくもあります。

 

変わらないこと、変わること。
その両方を感じながら、さらに進んでいきたいなって思ったのでした。

 

大きな窓のあるカフェ。空いてきたので場所を移動してゆっくりしてました。

 

2 件のコメント

  • こんにちは。
    アメブロのリンクから飛んで来ました。gplanetです。読者登録をありがとうございました。

    一つ一つの心のひだを丁寧に掬い上げるような文章、と感じていて、特にこちらの記事は、少し前から整理されていた私の中のモヤモヤをきれいに言語化してくださっています。
    こう言うことだったんだなって目から鱗、のようにも感じました。
    リンクを貼って下さってありがとうございます。

    • gplanetさん

      アメブロではいつも記事を読んでくださり、ありがとうございます*

      私は小さい頃からたくさんの思い込みを創り出してきたのですけど
      その経験を書く事で、少しでもお役に立てたのなら、それはとても嬉しい事だなって思います*

      こちらこそ、いつもありがとうございます^^
      コメントも嬉しかったです。ありがとうございました*

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