自分の無意識に耳を傾けるようになってから
私の頭の中で、父に関するある想像(妄想)が繰り返されているという事に気がついて
どうしてこんな想像ばかりが繰り返されているのか、疑問に思ったことはあったけど
深く追求することはせずに、なんとなく、そこに手をつけずに過ごしていました。
とはいえ、それでも幾度も繰り返される想像だったので
手を付けずにいたとは言っても、意識せざるを得なかったのですが
ちゃんと向き合おう、という状態に持っていけてなかったので
それに関する色々なことを、受け入れられてなれていなかったんだろうな、と思います。
なんですけど、昨日ふとしたときに
その想像の根っこであろう事が、急に意識に上がってきました。
本当に突然。
その瞬間、スコトーマが外れた感覚がして
「そっか。そういう事だったんだね」って心と体が緩んで
鳩尾辺りから、穏やかなため息が出てきました。
結局私は、父に対してある想像を繰り返す事によって
自分を守っていたのです。
自分が傷つかないように、勝手に父にレッテルを貼って
『父は〇〇だから、この状況になっても仕方ないんだ』と思い込む事で
幼い頃の私は、救われてきたんだと思います。
だけど小さな頃は、その思い込みで私は救われていたかもしれないけど
大人になった今、その思い込みは私を救ってはくれなくなっていて
むしろ、父にレッテルを貼った想像が繰り返されるたびに、その想像に心が引っ張れて
自分で作り上げた想像にも関わらず、想像するたびに居た堪れない気持ちになっていたりしました。
だけど、もう大丈夫。やっと終わりました。
長年の癖で、いつのもように心が引っ張れそうになるかもしれないけど
そのあとの向き合いからはもう分かっているから。
*
心配性、悲観的、怒りっぽい、とかって
それが自分の性格なんだって思いがちだけど
その思い込みがあると、色々な事に気がつけなくなります。
私は心配性だから、こういう想像をよくしてしまうんだな、とか
私は悲観的だから、こういう想像をよくしてしまうんだな、とか
私は怒りっぽいから、こういう想像をしてしまうんだな、とか。
(想像だけに限らず、言動や行動もそうです。)
だけど、心配性とか悲観的とか怒りっぽいとか
そういう事って、自分を守るために創り上げてきたことの方が多いと思うのです。
私自身も、父にレッテルを貼って、幾度もある想像を繰り返していたのに
そこまで深く追求しようとしなかったのは
"私は心配性だから"という思い込みが少なからずあったからです。
"私は心配性だから"という気持ちがあると、
その言葉で、今の自分や今の状況を納得させてしまう。
だから、向き合う段階まで進まない事が多いんだなって今回のことで思いました。
だからあなたも、自分を苦しめている"性格という思い込み"があるのなら
一旦足を止めて、向き合ってみると良いと思います。
苦しいと感じている時点で、おそらくそれは性格ではなく思い込みでしょうから^^
先週末、急に父方のお墓に行きたくなったので、美容室帰りに行ってきました。
父の実家がある町は"THE・田舎"というような町で、本当に何もないところのですが
視界に入ってくる情報が少ないと、それだけで心の枠が広がる感じがして癒されて帰ってきました^^
北海道もようやく20℃を超える日が続くようになってきて
これからもっと暑くなるのかと思うと、それだけで気持ちがバテててしまいそうですが
北海道の短い夏をなるべく楽しもうと思います^^
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